どんなところに置かれても、花を咲かせる心を持ち続けよう。

渡辺和子著, 置かれた場所で咲きなさい, 言葉

今日の言葉
日常の生活で見つけた言葉、本や雑誌等で見つけた気になる言葉を紹介します。

 

「どんなところに置かれても、花を咲かせる心を持ち続けよう。」

境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。
「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。

【 『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著)より 】

 

著者は、初めての土地で、思いがけない役職につき、未経験の事柄の連続で、当初考えていた修道生活とはあまりにもかけ離れていて、いつの間にか「くれない族」になってしまい、
自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめたときに、一人の宣教師から頂いた一つの短い英語の詩

< Bloom where God has planted you >(神が植えたところで咲きなさい)

で、変わることができたそうです。

 

『置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間として生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心すること。それは「私が変わる」ことによってのみ可能。』【 『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著)より 】と書いています。

 

「どんなところに置かれても、花を咲かせる心を持ち続けよう。」

とても、すてきな言葉だと思います。

環境の奴隷にならず、自ら自分の花を咲かせるために、自分が変わろうと決心して努力する。

いいじゃないですか。その通りだと思いますし気づかされた感じはありました。

 

でも、ここで疑問が...

置かれた環境が、自分にあっていたというか、悪くなかった場合は、この言葉のように、環境の奴隷にならず自分で切り開き自分が変わるということで解決するかもしれませんが、

置かれた環境が、最悪な場合、よく言われるブラック企業ってやつですか、パワハラやいじめがある環境、などなどですか...

とてもつらく地獄のような思いをしている人にこの言葉をかけることができますか?

私は、かけられない。

 

「自分が変わろうと決心して努力する」、神様はそれを見てくれているから、まだがんばれとか、我慢が足りないとか、絶対に言えない。

 

次のような内容も書かれています。

『「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的である時もあることでしょう。信じていた人の裏切りも、その一つです。人によっては、おかれたところがベッドの上ということもあり、歳をとって周囲から、”役立たず”と思われ、片隅に追いやられることさえあるかもしれません。そんな日にも咲く心を持ち続けましょう。』と...

【 『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著)より 】

 

その日にも咲く心を持ちつつけることは、とても大切なことだと思います。でも、理不尽、不条理な仕打ちって、そのようなことがある場所でも、置かれた場所で咲かないといけないのでしょうか。

自分が壊れてしまいます。

 

私なら、はやく逃げなさいと声をかけたい。本当の苦しみ、精神的にまいってしまうような苦しみを味わったことがある人は、「置かれた場所で...」なんて言えないし、言わないと思う。

 

置かれた場所ではなく、いる場所は自分自身が選ぶべきだと思います。

 

つらく理不尽な場所なら逃げるべき。そのような置かれた場所で、我慢し、本当に幸せになれますか? と問いたい。

 

自分に正直に、堂々と胸張って逃げましょう。

場所を変えてから、また「花を咲かせる心を持ち続ける」ための努力をすればいい。

でも、なにもかも他人のせいにして逃げてばかりというのもどうかとは思うけど...

 

言葉としては、

前向きに、生きるためのヒントというか、アドバイスにはなっていると思います。

 

なので、「置かれた場所で我慢しなさい」ということではなく、「置かれた場所が自分の幸せに値するのであれば、諦めず、最善を尽くすことで、幸せになり、さらにそれがきっとあなたの周りの人も幸せにするから、がんばりなさい。」ということかもしれません。

 

この言葉を読んだ本人がどう考えるか、自分の人生なので、いろいろ考え方があると思いますよ。

 

逃げてもいいじゃないですか。自分で決めたことでしょう?

 

自分の人生、他人に決められるんじゃなく自分で決めましょう。大丈夫。自信をもって!!

 

あくまでも、私個人の考えなので、皆さんも自分自身でどう考え、どう理解し、どうとるか、考えてみてください。

 

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